詩篇 27:4
一つのことを私は主に願った。
それを私は求めている。
私のいのちの日の限り
主の家に住むことを。
主の麗しさに目を注ぎ
その宮で思いを巡らすために。
創造主なる神様は人間を始め全てのものを創造されたお方です。時間、空間、物質の全てです。人間のように時間や空間に束縛されることなく超越しておられます。ご自身を自然や歴史を通してご自身の存在と力を示しておられます。それだけでなく、人となられたイエス・キリスト、聖書を通して神のご人格、ご性質を示しておられます。この創造主なる神の存在、力、ご人格、ご性質を知ったならば、神を慕い、ほめたたえずにはいられなくなります。この方と共に無制限に過ごす天国を待ち望みます。
ローマ人への手紙5:3-5
それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
なぜこんなことが起こるのかという問いは誰でも人生の中で経験するのではないでしょうか。人類は罪を犯し、エデンの園という神様の祝福の場所を去る選択をしたので、涙、死、悲しみ、叫び声、苦しみがあるのです。しかし、神様はご自分を信じる者には最善を行ってくださいます。苦難は誰でも嫌なものです。神様は苦難を通して、信じるの者に忍耐と希望を与えてくださるのです。もしあなたが神様を信じていないならキリストを通して現わされた福音を信じてください。もしあなたが神様を信じているなら、神様は苦難を通して良いものを与えてくださるお方であることを信じてください。神様の愛は昨日も、今日も、いつまでも私たちの人生に注がれています。
ヨハネの福音書 3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
全ての人は生まれながらにして神に反抗しているので、永遠の滅びに向かいつつあります。その人類に対して神はたったひとりしかいないひとりごイエスを身代わりに十字架につけて罪の赦しを用意されました。イエスの十字架の死、葬り、よみがえりを心に受け入れるなら、その瞬間に罪が赦され、永遠のいのちが与えられるのです。これは驚くべき罪人にたいする恵みの愛に満ちた御業なのです。これ以上の愛を見たことも、聞いたことも、経験したこともありません。
Ⅰペテロの手紙5:6
ですから、あなたがたは神
の力強い御手の下にへりく
だりなさい。神は、ちょう
ど良い時に、あなたがたを
高く上げてくださいます。
人が知り、見えている部分はごく僅かなものです。全てを知り、見通しておられ、完全に正義と公正を行われる神様が良い時に報いを与えてくださいます。
Ⅰヨハネ4:9〜10
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
創造主なる神様の愛を踏みにじり、存在を認めず、最愛のひとり子を殺してしまった人類を変わることなく愛し、帰ってくることを今でも待っておられるお方と人生が変わりました。
マタイ11:28〜30
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
創造主なる神様は私たちが背負う全ての重荷を背負ってくださり、様々な問題や困難の中にあって、平安を与えてくださるお方です。